2013/8/24 立山登山マラニック(開催中止) inserted by FC2 system



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立山登山マラニック
 2012年10月から敦賀に単身赴任となった。 担当する仕事は、舞鶴若狭道の小浜ICから敦賀JCTの建設。 実は、東京にいる頃から、ここの区間の機械設備の設計を担当しており、職場の長であるK氏は良く知っていた。 K氏は、やはりマラソンを趣味としていた。 一昨年は神戸マラソンを完走し、昨年は大阪マラソンを家族3人で完走し、その模様が読売新聞に掲載された。 K氏は、富山出身で富山在住。 敦賀へは、やはり単身赴任で来ていた。

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 昨年秋、職場の仲間と飲みに行った帰りに、K氏と自分は酔い覚ましに敦賀の街を歩いていた。 何となくK氏のお宅に向かうことになった。 今日は奥様がいらしているという。 お邪魔するのも悪いと思ったが、ぜひ寄っていってくれというK氏の言葉もあり、また大阪マラソンの事を聞いてみたい自分は、お宅にお邪魔することとなった。
 自然にマラソンの話となった。 奥様も、かなり走ることが好きなようだ。 立山登山マラニックの事は、奥様から聞くこととなった。 富山県民としては、かなり思い入れのあるイベントらしい。 だが、K氏も奥様も、出場資格であるフルマラソン4時間には達していなかった。 そんなこともあってか、自分に「出てみれば?きっと完走できるよ」と言った。 そういうことが嫌いでない自分は、それ以来、立山登山マラニックが気になっていた。 だが、まだランニングを初めて2年。 その当時、フルマラソンはまだ2度しか走っておらず、しかも膝を痛めた状態で無理やり走って3時間55分・3時間51分と、何とも評価の難しいタイムしか持っていなかった。 それに、まだ何とかフルマラソンに到達したという感じで、それ以上の距離を走ることなど、想像できなかった。
 その後、3回目のフルマラソンで3時間37分、年が明けて2013年3月に3時間30分、4月に3時間26分と、走るたびにフルマラソンのベストタイムを更新した。 正直、フルマラソン3時間26分の走力だけでは厳しいかもしれないが、夏まで数カ月あり、その間も走力アップを続ければ、もしかしたら立山登山マラニックを完走できるのではないか、と思うようになった。 何と言っても、まだ走り始めて2年半、ハーフでもフルでも、走ってベストタイムを下回ったことが無く、まだまだ伸びシロがあると思っていた。 K氏は、ボランティアをやるか、あるいは自宅近くの岩峅寺付近&室堂で応援してくれるという。 もう申し込みしないという選択肢は無かった。
 申し込みには作文欄があった。 マラソンのタイムとしては特に問題が無かった。 マラソンだけに限って言えば、3時間26分なら、市民ランナーとして恥ずかしくない数字だ。 だが、ウルトラマラソン無経験というのが、立山登山マラニックに出るにはマイナスだ。 だが、それについて記載欄は無い。 ウルトラマラソンの経験には触れないこととした。 問題は登山経験だ。 最近、結婚してから、一人行動ができなくなったため、ここ数年、まともな山に登っていない。 だが、若い頃は、結構山に登っていた。 高校時代は山岳部に入っていて、70リットルのザックとテントを買い揃えていた。 社会人になって、泊まりで山に行く事は無くなったが、それでも南アルプスの北岳や八ヶ岳の赤岳に日帰りで登っていた。 家から近い丹沢の山々も、散々歩きまわっていた。 そのへんを上手く記載することとした。

 6月下旬、2倍程度の倍率を勝ち抜いて、当選の連絡が入った。 あとは走るしかなかった。 何としても完走したい。 まあ、完走は無理でも、室堂までは走りたい。
 自分は今まで、1km毎のキロ表示のある平地のマラソンしか出ていなかった。 1km毎に自分のラップを確認して走るスタイルだった。 立山登山マラニックでは、そんなことは不可能だ。 だが、やはりコースを熟知することは必要だと思った。 様々なひとのブログを確認し、またルートラボ等で正確な距離を把握した。
 今まで、タイムを目指して走ったフルマラソンは5回であるが、実はそれ以外に遊びで2回フルマラソンを走っている。 2012年11月の湘南国際マラソンと、2013年3月の能登和倉マラソンだ。 いすれも会社の人と一緒に走った。 湘南国際マラソンは、東京の職場の人と一緒に走って、途中から歩きが混ざって5時間30分でゴールした。 能登和倉マラソンは、例のK氏と一緒に走った。 最後まで走ってLSDトレーニングの代わりにしようかと思っていたのだが、K氏は寒さと強風で低体温症となり、35kmでリタイヤしてしまった。 35kmまでずっと付き合っていたので、自分のゴールタイムは6時間だった。 2つのレースからわかったことは、ゆっくりはしれば、全く足が辛くないということだ。 湘南国際マラソンも、レース後、家に帰ってまたジョギングしていたし、能登和倉マラソンもK氏を待つため、逆走したりして、少なくとも45kmは走っただろう。 それでも全く足に疲労は無く、まだまだ何キロでも走れそうな気がした。 ウルトラマラソンの経験が無い自分は、この2大会の経験を自信にするしかなかった。 といっても、実際に65kmを走るとどうなるかは未知数だ。 坂だし、当然歩きも入るだろう。 イメージとしては、立山大橋を渡るまでは歩くことなく走り、その後は勾配に応じて走りと歩きを混ぜる、というものであった。
 問題は装備であった。 自分はフルマラソンに特化しているため、体重をとにかく抑えていた。 身長175cmで体重54kgだから、かなり軽量な方だと思う。 そのせいもあってか、荷物を持って走るのが苦手だった。 だが、立山登山マラニックでは、様々な荷物を持って走らなければならない。 水は必須だし、称名滝まではヘッドランプが必要だ。 だが、称名滝まではランが主体なので、リュックは使わず、ポーチだけとした。 称名滝より上は、雨具も必要となろう。 さすがにリュックは必要と思った。 だが、トレランをしない自分はリュックがなかった。 そこで目をつけたのは、娘が3歳の頃に使っていたリュックだ。 非常に小型で軽い。 ペットボトル2本と雨具くらいなら入る。 これを使わせてもらうことにした。
 あとは靴。 トレランシューズは持っていない。 室堂から先は、簡単なトレッキングシューズが必要だろう。 問題は八郎坂を、どの靴で登るかだ。 称名滝からトレッキングシューズに履き替えるか、それとも八郎坂はランシューで登るか。 迷ったが、室堂までの長い舗装道路をランシューで走りたく、やはり八郎坂はランシューで登る事にした。 自分はレース用に2種類の靴を持っている。 ひとつはアディゼロジャパンの匠戦。 もう一つは汎用でミズノのウェーブイダテンGR2スリム。 できれば平地は、少なくともウェーブイダテンで走りたい。 だが、八郎坂はイダテンでは不安だ。 そこで、称名滝までイダテンで走り、そこから先は、同じミズノのウェーブライダーで走る事にした。 ウェーブライダーは、2年半前ジョギングを始めた時に買ったレース用シューズで、初ハーフマラソンから3回のハーフマラソンと3回のフルマラソンに耐えてきた靴だ。 今回が最後のレースでの使用となるだろう。

 大会前日の8月23日、自分は敦賀で、いつものように仕事をしていた。 だが、その頃、富山ではすさまじい雨となっていた。 職場でK氏と「こりゃ、八郎坂、崩れたかな?」なとと話していた。 今晩自分は、K氏の車で富山に移動し、アパホテルに泊まる予定であった。 残業が当たり前になっている職場、だが今日は定時で仕事を終える。 6時前に職場を出て、そのままK氏の車に乗り、敦賀インターから高速に乗る。 8時過ぎには富山に着けるはずだ。 富山では、雨のピークは越えたらしいが、それでも今日一日で相当な雨が降ったらしい。 途中、福井から金沢のあたりでは、前が見えないくらいの雨であった。 車が石川県から県境を越えて富山県に入ったとき、東京の妻から電話が入る。 立山登山マラニックは中止らしい。 まあ、予想されたことではある。 とりあえず、地鉄ホテルへ行く事にする。 駅まで降ろしてもらい、ホテルへ行くと、8時を過ぎていたこともあり、受付ブースは畳まれていた。 だが、電話をすると、外にいたスタッフが、ゼッケンを持って来てくれた。 大会は中止であるが、ゼッケンを見せれば雷鳥荘に泊まれるという。
 さて、どうするか。 妻子は東京で待っている。 東京に移動して週末東京で過ごすというのも手だ。 だが、今晩の富山→東京のバスは満席だ。 明日の朝帰ってもいいが、日曜の東京→敦賀の夜行バスも満席だった。 ならば、室堂に泊まって立山にだけ登るという手はあるなと思った。 天気はというと、雨はだいぶ小ぶりになっていた。 室堂までどう行くか。 普通であれば、立山まで地鉄電車で行き、美女平までケーブルカー、そこからバスだ。 室堂まで荷物を運ばなければならないので、そこまで走るという選択肢は無いと思っていた。 ところが、地鉄の駅に行くと、富山駅→室堂の荷物搬送サービスがあると言うではないか。 まるで自分の為のサービスだ。 せっかく走りに富山まで来たのだ。 走れるところは走りたい。 平地は東京でも走れる。 立山駅から雄山までの標高差2,500mは、東京ではありえない標高差だ。 せっかく来たのだから、ここは走っておきたいなと思った。 最低限の荷物さえ持って走れば、朝3時に浜黒崎に行き、一人で雄山を目指すことも、理論的には可能だ。 だが、大量の水や食料を持って走るのは現実的ではない。 立山駅または美女平から雄山を目指すことにした。 問題は八郎坂だ。 自分はてっきり、ここの道が崩れて大会中止になったと思い込んでいた。 だが、本当にあの雨の中、崩落が確認できたのであろうか、と思っていた。 要は崩落の危険が高いから中止、と思っていたのだ。
 ホテルに帰ると、富山でコインロッカーに預ける荷物・室堂に搬送してもらう荷物・持って走る荷物に分ける。 靴は、八郎坂があるので、ウェーブライダーとした。 食料や水が多いし、雨具も持って走らねばならぬので、ポーチ2つにリュックという、かなり重い荷物となった。 水は2リットル、約1,000円分の食糧(おにぎりやパン)を持つ。 それに雨具や長袖のシャツ。 リュックはパンパンだった。 荷物が重いので、思うように走れないかもしれない。 最悪、全部歩きになってもいいように、早い時間に出発することとした。 目指す電車は、地鉄富山駅5:39発の急行。 5時に目覚ましを掛けて寝た。

 5時に起きたのだが、なぜか二度寝。 起きたら5:45だった。 5:39発の電車は行ってしまった。 6:26の電車に乗る事にした。 駅で2日間使わない荷物をコインロッカーに入れ、室堂で使う荷物を預ける。 地鉄電車は2両編成。 半分近くの座席が埋まっているが、パッと見、同士はいない。 自分は、右側の席に座った。 本来であれば、走っていたはずの道路が見える。 今にして思えば、立山駅からではなく、岩峅寺くらいから走ればよかったなと思う。 だが、雨が降り出してきた。 今日は、午後になればなるほど天気が良くなることがわかっていた。 雨は昨日のうちにほとんどやんでたので、今日は降らないかなと思っていたが、甘かった。
 ほとんどの客が終点の立山駅まで乗る。 また、降りた客のほとんどが、ケーブルカーへ向かう。

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 まずは称名滝まで走るが、雨が強くなり、最後の坂は勾配が急で、はやくも歩きが入る。 途中、マラニック参加者で、大きなリュックを背負って歩く女性を抜かす。 彼女は、八郎坂が心配で、大日経由で室堂に行くという。 山の事は詳しくないが、大日経由で室堂となると、かなりの時間が掛かるんじゃないかなと思う。 ひとごとながら大丈夫かなと思ったが、まあ自分より山慣れしてそうなので、あえて何も言わなかった。

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 その先、問題の八郎坂。 急坂だし、雨で滑りやすく、走れない。 だが、昨日の雨での新たな崩落はなかったようだ。 雨は、少し小降りになってきて、ときおり称名の滝が見える。

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 称名の滝レストハウスから、1時間弱で弘法付近の車道にでる。 一番心配していた区間を無事歩けて、少しほっとする。

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 弘法からは、しばらく走っていたが、持参した水の不足が心配で、ペースを落とす。 小雨だったので、カッパを着て走っていたため、暑くて結構汗をかいていた。 弘法からしばらくは、本来のコースであれば、車道を離れて木道を行く。 だが、入り口が分からなかったのと、その先の木道も濡れていて滑りそうだったので、そのまま車道を行く。 途中、観光客に2組ほど会った。 走っている自分を見て、変な人だなと思ったに違いない。 本来、車道は歩行者通行禁止のはずだ。 まあ、せっかく来たのだから、大目に見てもらおうと思った。

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 次第に天候は回復してきたが、やはり水不足が深刻で、ほとんど走る事無く、早歩きで登って行った。 立山駅から4時間と少し、ようやく室堂に到着。 念願の水分補給を果たす。 雨は上がって、天候は回復してきた。 そのまま雄山へ向かう。 だが、一の越から先は、霧で何も見えない。 思ったより岩がゴツゴツしている。 風も強く、寒いので、カッパを着る。 一の越から上がること35分、ようやく霧のなかから頂上が見える。 残念ながら霧で何も見えないが、頂上まで来られたことだけでも良かったと思わなければならない。

 
距離
ラップ キロラップ
立山駅      
有料道路分岐 4.2km 29:49 7:06
称名滝RH 3.1km 30:39 9:53
弘法 3.0km 58:48 19:36
弥陀が原 4.4km 55:19 12:34
天狗平山荘 5.6km 1:01:13 10:56
室堂エイド 2.1km 19:02 9:04
一の越 3.0km 28:41 9:34
雄山 1.0km 37:08 37:08

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 一の越への下りに入り、ようやく霧が薄くなる。 だが、一の越〜頂上間がようやく見通せる程度で、下界はおろか、室堂すら見えなかった。

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 一の越から室堂へ向かうと、ようやく霧が晴れてきた。 途中、雪渓を横断するが、ステップが切ってあって、ランニングシューズでも問題なく歩けた。

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 室堂で荷物を受け取り、雷鳥荘へ向かう。 ようやく霧が晴れてきて、かすかながら稜線が見えるようになる。

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 雷鳥荘に着く。 果たしてどれくらいの人が来ているかと思ったが、思ったよりいる。 部屋は2段ベット(4×2)だったが、下段のみ使用し4人となりそうだ。 同部屋となったのは、自分より年上の2人と、まだ若い人。 同志が同部屋になる訳だから、当然のように話が弾む。 だが、それだけではなく、本当にみないい人だった。 3人ともウルトラマラソンを経験していて、凄いなと思った。 自分なんて、また走り始めて2〜3年のランナー、過去の経験を語るほどレースに出ていなかった。 食堂での食事でも話し、部屋に戻っても話が尽きなかった。 自分も、いずれはウルトラマラソンを走ってみたいなと思った。 だが、それよりも、来年のこの大会。 もし開催されるなら、必ず出てみたいと思った。 もちろん走ってみたいというのも理由だ。 だが、もし来年、この方々と再び会える事なら、こんな素晴らしい事は無いなと思った。
 若い彼は、トランスジャパンを目指しているという。 NHKスペシャルで見ただけだが、想像を絶する大会であり、目指すだけでも凄いなと思う。 是非出場してもらいたいなと思った。

 翌日は更に天候が回復していた。 やはりもう一度雄山に登りたい。 そして、出来れば走って電鉄立山駅まで下りたい。 朝7時半に雷鳥荘を出る。

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 室堂で荷物を預ける。 受け取りは電鉄富山駅とした。 8:20に室堂を出て一の越へ。 天気がいいので、昨日より快調だ。 室堂から25分で一の越に着く。

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 昨日は霧で何も見えなかった一の越から先も、今日は晴れている。 気分よく登る。

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 昨日は一の越から頂上まで37分掛かったが、今日は26分で到着。

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 景色を堪能して、下山に入る。 登ってくる人も多いし、そもそも下りは苦手た。 26分で上がった区間を22分掛けて下る。

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 今日は本当に景色が良い。 室堂からは、富山市内まで見えた。 昨日は車道を上がってきたが、今日は極力木道を下る。 本来、車道は歩行者通行禁止だ。

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 弘法〜追分は、本来マラニックでも木道を行く区間。 昨日は事情により車道を歩いてしまったが、今日は当然木道を行く。 もし来年走る機会があれば、参考に是非通っておきたかった。 八郎坂を下り、のんびり走って、室堂から雄山経由5時間で地鉄富山駅に着いた。

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距離
ラップ キロラップ
室堂      
一の越 3.0km 25:28 8:29
雄山 1.0km 25:57 25:57
一の越 1.0km 22:09 22:09
室堂 3.0km 21:51 7:17
天狗平山荘 2.1km 17:07 8:09
弥陀が原 5.6km 38:24 6:51
弘法 4.4km 35:48 8:08
称名滝RH 3.0km 49:46 16:35
有料道路分岐 3.1km 20:39 6:40
立山駅 4.2km 26:59 6:25

 地鉄富山駅で荷物を受け取り、南富山駅へ戻る。 今日中に敦賀へ戻るのだが、帰りもK氏が乗せてくれるという。 大会中止は残念であったが、2日間充分立山の自然を満喫し、また雷鳥荘での楽しい時間等、本当に有意義だった。 もし来年、再び大会が開かれるなら、何としてでも出たいなと思った。



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