2016/3/13 能登和倉万葉の里マラソン inserted by FC2 system




大会出場へ
 敦賀の単身赴任時代に知った大会。 当時の職場の長であるK氏に誘われたのが、最初に走ったきっかけだ。 その2013年は、そのK氏と一緒に走った。 敦賀に単身赴任していた自分は、金曜に東京に戻り、土曜の夜の夜行バスで富山に行き、富山在住であるK氏の車で会場に行った。 当時の自分は、まだサブ3.5を目指している途中のランナーだった。 2013年3月の佐倉、同年4月のかすみがうらでのサブ3.5への練習という位置づけだった。 K氏のベストタイムは、神戸マラソンの5:15。 その能登和倉では5時間を切れる可能性のあるラップでレースを進めたが、坂がきつく、朝の雨でぬれた体が午後からの強風で冷やされ、K氏は35qでリタイヤしてしまった。 それまで併走していた自分は、結局6時間10分掛けてゴール。 東京職場のT部長のペースランナーを務めた2012年湘南国際の5時間30分を上回る、最も時間を掛けて完走したレースとなった。 翌2014年も、やはりK氏に誘われ出場する事になった。 ただ、K氏は10qにエントリーしたので、フルは自分のペースで走る事となった。 しかし予想外の事が多く発生する。 まず自分が3月にインフルエンザに掛かり、全く練習できなくなってしまった。 そしてK氏が職場の敦賀を離れられなくなり、大会に出場できなくなってしまった。 状況が状況だけに、欠場しようかとも思ったが、欠場すると、K氏が出られなくなったせいで自分の出ないとK氏が思うと思い、それも悪いので出る事にした。 3連休だったので、連休前日に敦賀を出て東京に帰り、市川の実家に1泊して、土曜の午後、青春18きっぷで富山入りした。 しかし、インフルエンザの影響により、約1ヶ月練習していない体は正直だった。 途中までサブ3.5ペースを上回っていたが、前半の坂で足がやられ、後半の向かい風にも悩まされ、一人で走ったレースで初めて歩くという屈辱を味わった。 タイムも3時間41分と、マラソン初年度の3時間50分台に次ぐ、ひどい記録だった。 という訳で、この大会にいい思い出は無い。 その後、東京勤務となった自分であるが、いずれリベンジしたいなと思った。

 2015年は、迷った挙句エントリーしなかった。 別大をはじめ、遠征が続いていたので、費用的にも厳しかった。 だが2016年、遂にエントリーする事にした。 理由は3つ。 ひとつは、アドバンスのメンバーであるUmerun氏が出場する事。 もうひとつは、2015年にFacebookで友達となった、砺波のS氏と会える事。 S氏とは、立山登山マラニックで、かすみ橋から八郎坂までの長きに渡り併走したランナーだ。 別大のように競技会ならともかく、こういう大会では、できれば友人が多くいたほうが楽しい。 最後の理由は、今なら確実に過去の悪夢が振り払えそうな気がしたこと。 榛名湖や奈良での快走により、坂でもそこそこ走れるんじゃないかと思うようになった。 2015〜2016シーズンの自分は、前シーズンより走力がワンランクアップしたと思われる。 最初のレースであるつくばで、前半突っ込み過ぎの失敗レースながら3時間04分台、坂のきつい奈良で3時間05分台、そして別大で遂にサブスリーを達成した。 また立川ハーフでも1時間22分台後半と、昨年の1時間26分半から3分半縮めている。 今シーズン突入前の目標は、出るレース全てで3時間15分を切る事であったが、奈良と別大の結果を踏まえ、能登和倉でも3時間5分くらいで走りたいと思うようになった。

 去年、費用の都合で見送った能登和倉であるが、今シーズンだって、奈良と別大に遠征したし、参加費の高い湘南国際にもエントリーしている。 2014年は富山のホテルに泊まったが、今回は健康ランドで夜明かしするか、テント泊する事にした。 また過去2回、大会終了後は敦賀に戻れば良かった。 しかも、2013年はK氏の車に乗せてもらったし、2014年は青春18きっぷで移動した。 東京に戻るとなると、その日のうちに青春18きっぷで戻る事は不可能であり、もう1泊必要になる。 希望はテント泊であった。 昨年、北陸新幹線が開通し、金沢〜直江津のJRが第三セクターに変わってしまい、青春18きっぷが使えなくなってしまったのも痛い。 テント場の多くは17時までに到着して手続きをしなければならない。 土曜の朝に東京を出て、18きっぷの使える米原廻りで行くと、石川県に着いた段階で17時となってしまう。 弱ったなと思った。

 しかし、当日が近づくにつれ、好都合な方に状況が変化していく。 まず、大会前の木曜日・金曜日に大阪出張が入った。 どうせなら、金曜日も大阪に泊まって、大阪から石川に移動すればよい。 そうすれば、キャンプ場の場所にもよるが、17時までの到着は容易だ。 2泊する場合、テント場の候補は、初日が羽咋ふれあいキャンプ場、2日目が砺波の夢木香村キャンプ場だった。 初日の条件は、10時のスタートに間に合う事。 そうなると、羽咋市の羽咋ふれあいキャンプ場か、羽咋郡志賀町の大島キャンプ場のどちらかとなる。 2日目の条件は、17時以降でも受付をやってくれるテント場である事。 ゴールしてから移動すると、どうしても17時は超える。 砺波市の夢木香村キャンプ場と黒部市のぐりーんぱーくおおしまキャンプ場が候補だった。 できれば、夢木香村キャンプ場に泊まりたかった。 S氏のFacebookにある、散居村の景色を眺めてみたいなと思っていた。 色々考えているうち、さらに状況が変化する。 仕事の都合で、月曜日会社に出社する必要が出てしまった。 だが、東京から行くアドバンスのUmerun氏が、帰り車に乗せてくれるという。 Umerun氏は家族で来ており、家族旅行に割り込むのは申し訳ないと思っていたが、家族みな快諾してくれているという。 まあ家族ぐるみで付き合いのある仲間だし、野辺山ウルトラの時は、3家族で行って一緒に1棟の貸別荘に泊まった仲である。 そういう意味で、そう抵抗が無いのかもしれない。 これは非常にありがたい話だった。 そうなると、キャンプ場は1泊だけとなり、羽咋ふれあいキャンプ場かなと思っていた。 大阪出張の頃から、S氏とメールのやり取りが続いていた。 彼は、自分が夢木香村(または閑乗寺公園)にテント泊すると知って驚いていた。 それはそうだろう。 自分の家の近く、しかも大会会場から離れたところに、東京から来た人間がテント張って泊まるのだから。 だがテント泊が1泊となってしまったので、私は彼に、こうメールした。 「日曜のうちに東京に帰らなければならなくなったので、閑乗寺公園に泊まって散居村を見てみたかったのですが、無理になりました。土曜日に閑乗寺公園に泊まると10時スタートに間に合いませんし。」 すると、彼の返信は、たまげたものだった。 「土曜日に閑乗寺公園に泊まって、日曜日の朝は、うちらと一緒に車で会場に向かうっていうのはどうですか。それなら余裕で間に合いますし。」 一瞬、えっと思ったが、彼は是非と言ってくれたし、そう言ってくれたことは正直嬉しかった。 ならばそうさせてもらう事にした。



大阪出張
 大阪出張も青春18きっぷとした。 ただ、10日(木)は移動だけなので、朝はゆっくりで、8:15京王堀之内の電車に乗り、ホテル最寄りの寺田町に18:04に着いた。 鈍行列車は乗り慣れたものだが、パンパンに詰めた60Lの石井スポーツの旧式ザックを持っての移動は大変だった。 翌日は、門真のパナソニックの工場に行かなければならない。 さすがに60Lのザックを持って仕事に行く訳にはいかず、朝のうちに今晩の宿である心斎橋のカプセルホテルに行き、コインロッカーにザックを入れた。 心斎橋から門真まで、走る事にした。 大阪城公園を抜け、寝屋川沿いを進み、鶴見緑地を通って西三荘駅に行く。 だが、時間がありすぎたので、結果として、ほとんど歩いていた。 実は9日(水)の夜、足をねん挫していた。 京王堀之内の階段を駆け下った際、一番下の段で左足をひねってしまったのだ。 10日は歩くのも辛いほど痛かった。 それに、なぜかひねっていない右足の方が痛かった。 10日の夜に右足の痛みはひいたが、左足は痛かった。 時間の問題ではなく、捻挫を悪化させそうで、走るには勇気がいる状況だった。

 パナソニックの工場での仕事は15時過ぎに終わった。 さすがに帰りは歩かず、京阪で北浜まで行く。 ついでなので、弊社の大阪支店に行く。 長堀橋の事務所まで2q歩き、挨拶を済ませると、長堀橋から大阪駅まで4q歩いた。 大阪駅に来た目的は2つ、一つはモンベルでペグを買う事、もうひとつは従兄に会う事だった。 テントを持ってきたのに、ペグを忘れていた。 風が強くなければペグは要らないかとも思ったが、安いものだし、念のため買う事にした。 18時に従兄と待ち合わせて夕食。 一昨年の奈良、去年の奈良に続いて、またしてもハゲ天で天ぷらを食べた。 21時に従兄と分かれ、心斎橋のホテルへ。 電車に乗るまでもないので、4q歩く。 今日はほとんど走っていないが、結構長い距離歩いた。 泊まるホテルはB&Sエコキューブ心斎橋。 一昨年シーズンの奈良マラソンの時に泊まったホテルだ。 その時は1,500円と激安だったが、近年の状況から2,600円に値上がりしている。 だが、前回は入り口に最も近いカプセルで出入りでうるさかったのだが、今日のカプセルは真ん中あたりで、比較的静かだった。



大会前日 大阪から閑乗寺公園キャンプ場へ
 土曜は5時に目が覚めた。 今晩は風呂に入れないかも知れないので、朝もシャワーを浴びる。 JR難波6:28の電車に乗り、今宮と大阪で乗換えて尼崎に行く。 今日はまずJRで敦賀まで行く予定だった。 敦賀行の新快速は大阪から乗ればいいのだが、座れない可能性があるため、尼崎まで行って折り返した。 青春18きっぷを持っているので、敦賀までとは言わず、そのまま金沢まで移動できる。 だが、敦賀時代に職場で隣の席だった人が、今日たまたま敦賀から金沢に移動するというので、乗せてもらう事になった。 皆様にお世話になりっぱなしである。 電車は9:50に敦賀に着いた。 待合せは10時だ。 仮にJRで金沢に行こうとすると敦賀9:53の福井行に乗ることになるのだが、通路まで立ち客がいっぱいの超満員だった。 車に乗せてもらう彼に感謝である。 途中、敦賀ICの事務所に寄る。 お世話になった工事長が名古屋に転勤になるというので、挨拶する。 敦賀から金沢までの2時間、話のネタは尽きなかった。

 12時過ぎに金沢に着き、昼食。 金沢では、いつも駅の中の吉野家だ。 金沢13:02の電車で高岡に向かう。 金沢発車時は満員で座れなかったが、津幡で座れた。 高岡着13:41。 次に乗る城端線は14:16で、30分以上あるので、高岡大仏にでも行こうかと思って駅を出る。 だが、あまりの荷物の重さで、すぐに挫折して駅に戻った。 城端線は2両。 懐かしのディーゼルカーだ。

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 ほのぼのした雰囲気の中、45分掛けて福光に着く。 15:20のバスに乗り、井波の中心街に15:35頃着く。 アスモというショッピングセンターで、今晩の夕食と、明日の朝食を買う。 思ったより品ぞろえは豊富だった。 ここから閑乗寺公園までは徒歩だ。 3q弱だから余裕だろうと思っていたが、思ったより上り坂がきつく、結構汗をかいてしまった。 しかし、坂の途中から散居村が見え、疲れた心が洗われる。 キャンプ場に着くと、手続き。 人のよさそうなおじさんが、下から歩いてきた自分に驚いている。 先客が一人いるようだが、夜見たら居なかったので、その客はデイキャンプだったらしい。 泊まりは自分一人だ。 トイレから少し離れた場所となるが、下が草で濡れていない場所にテントを張る。 風も弱く、雨の心配も無く、快適である。

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 する事もないので20時に寝る。 はじめは寒いなと思っていたが、やがて体温で温まってきたのか、寒いとは感じなくなった。 思えば、昨年秋、10月の八ヶ岳行者小屋や、雲取奥多摩小屋は寒かったなと思う。 フリースやダウンなど8枚着込んでいるし、その時に比べたら気温も温かい。



大会当日 朝
 大会当日、4時起床。 S氏は5時半に迎えに来てくれるという。 いったん、キャンプ避難所となっているログハウスにすべての荷物を運び、そこでテントを畳んで、パッキングする。 あとは朝食。 実は昨日、排便しなかった。 今日もまだ出ていないし、気配もない。 何としてでもレースまでに出したいなと思う。 S氏は5時半ちょうどに来てくれた。 実際に会うのは、もう1年半ぶりだが、Facebookを度々のぞかせてもらっているので、久々感は無い。 しかし、こんなに朝早くから迎えにきてくれて、本当に感謝である。 彼はまず、駐車場から少し上がった展望台に連れて行ってくれた。 ここまでよく走りに来るらしい。 まだ薄暗いが、夜景が綺麗である。 これだけ景色がいい場所なら、昨日の明るいうちに来ればよかったなと後悔する。 メンバーとの集合場所は、砺波市役所。 ここから12qくらいだ。 昔の話、最近の話、今日の話、話したい事は山ほどあり、どこから話していいかわからない感じだが、貴重な時間なので、思いついたことから口にする。

 砺波市役所には、自分も含めて8人が集合する。 7台の車のうち、酒を飲まなそうな2人を選定し、2台の車で和倉に向かう。 能越自動車道が和倉まで開通したので、砺波からの移動は楽だ。 だが、みなの話によると、今日は車が多いという。 みなランナーだろう。 道路からは、剱岳が見える。 ここまで綺麗に見える日は少ないという。 一応今日の天気は晴れまたは曇りの予報だ。 七尾城山ICで能越自動車道を降り、公立能登中央病院のあたりを通って、指定された駐車場であるワクラ村田製作所に着く。 非常に会場に近い駐車場だ。 自分も念の為駐車場を申し込んだのだが、10q地点の能登島マリンパーク海族公園が指定された。 そんなところに停めたのでは、往きも帰りも大変である。 自分は、ここで車に積んでもらっていたザックを下ろして背負う。 それを見て、みな笑っている。 そりゃそうだろう。

 シャトルバスはすぐ発車して、観光会館前に着く。 まずは温泉の確保。 Umerun氏が泊まっているあえの風は人気らしく、既に売り切れだが、それ以外はまだ空きがあるという。 ゴール地点から近い、美湾荘の入浴券を購入する。 観光会館にシートを敷いて陣取る。 早く着いたせいか、一等地の観光会館にも、まだシートを敷くスペースが残っていた。 おにぎりを食べると、幸運にも便意が。 観光会館のトイレは行列だったが、保育園の仮設トイレには並ばずに入れた。 もうこれでトイレの心配は無くなった。 観光会館は温かいが、外はまだ寒い。

 他のメンバーは、ぎりぎりまで観光会館にいるようだが、自分は9:30にUmerun氏と待ち合わせをしているので、先に観光会館を出る。 9時半少し過ぎにスタート地点に行くと、歩道にUmerun氏が居た。 彼は昨晩、しこたま飲み、今朝もバイキングを腹いっぱい食べたそうなので、今日はタイムは無理だなと言っている。 ついさっきまで、あえの風の風呂に入っていて、招待選手気分だそうだ。 家族であえの風に泊まって大会参加なんて、羨ましい限りである。 つくばマラソンだと、スタート30分前から先頭位置はランナーでいっぱいだが、この大会は緩い。 10分前でも、少し無理すれば最前列が取れそうな感じだ。 だが、さすがに最前列は避け、5列目あたりに位置する。 チームMACのうち、陸連登録しているT氏と女性の2人が後方に見える。 遠慮がちな位置取りだなと思う。 といっても、陸連登録は女子を入れても200人くらいだから、Aブロックのスペースは極めて狭い。 Bブロックの先頭が、すぐそこに見える。 実際、BブロックのUmerun氏のスタートロスが10秒だから、ほとんどロス無しと言っていいだろう。



レース序盤
 10時の号砲と同時に走り始める。 自分のスタートロスは3秒だった。 すぐそこが先頭だから、速めのペースで走らないと迷惑だ。 奈良マラソンを思い出す。 あの時の1qは3:48だったなと思う。

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 今日の1qは4:13。 前の方に並んだ以上、最低でもサブスリーのイーブンペースである4:15は上回らなければならない。 次第にランナーがばらけてきて、少しペースを落とす。 やがて能登島大橋の登りに掛かる。 2qの標識は橋の上だ。 最近、標識よりも路上のマーキングを確認するようにしている。 公認コースであるならば、路肩に必ずマーキングがしてあるはずだ。 かすみがうらマラソンでは、マーキングとキロ表示がずれている箇所が結構あった。 だが、この能登和倉では、標識とマーキングが大きくずれている箇所は無かったと思う。 橋の登りが始まったせいか、この1qは4:42とペースが一気に落ちる。 ちょっと落とし過ぎか。 頂点を過ぎ、橋を下るが、3qはその先の登りの途中。 2〜3qは4:29。 まあ前半だし、4:30くらいのラップを刻めればと思う。 能登島に入ってからも、微妙なアップダウンがある。 3〜4qは4:22、4〜5qは4:25と、まずまずのラップを刻んで、5qの通過が22:11。 余裕を持って走って5q22分をキープできればと思っていたので、少し遅いが、まあまあか。 どちらかというと、周りに抜かれる感じ。 だが、前半抑え気味に走らないと、後半えらいことになる。 最近、大会では上位2〜3%が目標である。 本大会の参加人数を考えると、目標は2ケタ順位だ。 今、どう考えても前に100人以上居ると思われる。 後半、抜いてやろうと思う。

 5qを過ぎ、しばらく走ると、能登島内で最も長い登り。 6qは登りの途中で、5〜6qは4:45と落ちる。 まあ仕方がない。 ここで力を使う訳にはいかない。 6〜7qは下りもあり、4:16。 下りがあったのに、サブスリーペースを下回るのは残念だが、下りも飛ばすと足にくる。 この先は、しばらく平坦だ。 7〜8qは4:20。 ここで背後から声が掛かる。 S氏だ。 彼は当初、3:20を目指す女性のペースメーカーをするかもと言っていたが、女性は引き連れておらず、自分のペースで来たようだ。 せっかくなので併走させてもらう。 だが、最初の10qは遅い自分、ちょっと付いていけなさそうだ。 「すみません、ちょっときついんで、後ろから行きます。」という。 彼は「そのほうがいいかも。今自分はいっぱいだから、落ちてきたら拾ってくれ。」という。 しばらくは彼が見える位置でレースを進める。 第一折り返しに向かって登り坂。 8〜9qのラップは4:29と落ちる。 折り返し手前でS氏とすれ違う。 折り返した後は、対向するランナーから知り合いを探す。 チームMACの女性と、もう一人とすれ違う。 坂を下って左折し、第二折り返しに向かう。 9〜10qは下りもあって、4:09。

 10qのスプリットは44:10だから、ほぼ予定通りである。 その先が第二折り返し。 やはり、その直前でS氏とすれ違う。 また当然その後、チームMACの女性とすれ違うはずである。 お互い手をかざしてエールを送る。 知り合いがいて、折り返しがあるというのは嬉しいものだ。 そのすぐ直後にUmerun氏を発見。 第一折り返しの時は気づかなかった。 これは意外だった。 前日さんざん酒を飲んで、腹いっぱいでスタートしたのに、自分の1分後ろとは。 せっかくだから、1分待って、Umerunさんと一緒に走ろうかなとも思ったが、やはり1分止まっているのも何だし、S氏を追うという目標もあるので、止まるのはやめた。 10〜11qは4:04。 えらく速いなと思う。 このあたり、前方にランナーが全くいなくなる。 失敗したな、S氏について行けばよかったかなと、少し後悔する。 反対車線はランナーが多い。 4時間や4時間半のペースランナーと、その集団とすれ違う。 ミズノランニングクラブのペースアドバイザーだろうか。 11〜12qは4:24。 今度は少し落とし過ぎか。 S氏の姿は完全に見えなくなった。 やがて登りに。 登りに入って12〜13qは4:34と落ちる。 まあ仕方がない。 登りは、ランナーによりペースがまちまちだ。 自分を抜かしていくランナーもいるが、逆に自分に抜かれるランナーもいる。 頂点を過ぎて下り。 その途中が14qで、13〜14qは4:36。 余裕を持って走っているつもりだが、それでも平坦なコースの14qより足が疲れているかなあと感じる。 サブスリーを目指すなら、14q1時間が目安だ。 1:01:48だから、3倍して、ちょうど目標の3時間5分ペースかなと思う。 後半は坂が少ないので、余力があればペースを上げられるかもと思っていた。



レース中盤
 少し坂を上がって、切り通しのところが15q。 14〜15qは4:16。 スプリットは1:06:04だから、ほぼ5q22分ペース。 予定通りだ。 一昨年に比べたら、足の疲労度は雲泥の差。 いい感じだなと思う。 半浦の交差点を右折したところに16qの看板があり、時計を押すと4:54。 だが、これはキロ表示の誤りである事は、一昨年走ってわかっているので気にしない。 その後は上り基調だが、次の1qで時計を押すとは4:05。 すなわち、4:54が実際にはもっと速くて、4:05が実際にはもっと遅い訳だ。 足して2で割れば4分半だし、登り基調なので、まあいいペースかなと思った。 その先下って、海沿いの道となる。 下っているが、17〜18qは4:20。 ここで4:15を上回れないのは情けない。 だが、ラップを気にしても仕方がない。 疲労度の感覚が重要である。 時計を意識しすぎてペースを上げると、必ず後半失速する。 このあたりで、Fブロックでカエルの着ぐるみのランナーに抜かれる。 彼は、応援してくれている人全員に「ありがとう」と言いながら走っている。 それでいてこのペースだからすごいなと思う。 このあたり、かなり過疎地域だが、おばあちゃんたちが椅子に座って声援を送ってくれる。 カエルの着ぐるみランナーは、立ち止まって、そのおばあちゃん全員と握手している。 彼のほうが、走っているペース自体は速いのだが、そんなことをしているので、抜きつ抜かれつとなる。 18〜19kmは4:19。 ほぼ平坦な区間であるが、やはり4:15を上回れない。 だが、あくまで自分の感覚を頼りのペースで走る。 20km手前からだらだら登り。 この頃になると、周りのペースが落ちてきて、抜かれることが減ってくる。

 19〜20kmは、登りに掛かったからか、4:29。 スプリットは1:28:11だから、ちょっと遅いかなと思う。 ツインブリッジのと手前の右折地点まで、だらだら上りが続く。 20〜21kmも4:26と、登り相応のラップ。 そしてハーフを通過。 スプリットは1時間33分だ。 単純に倍すれば3時間6分。 目標の5分を切るには、後半上げる必要がある。 だが、後半は坂がないし、なにより別府大分の時は前半より後半の方が3分速く走っている。 充分可能なラップかなと、その時は思っていた。 その先も登りが続いて21〜22kmは4:31。 さすがに4分半超えばまずいなと思う。 右折してツインブリッジのとへの下り。 この下りは急で長い。 一昨年、脚がやられた坂だ。 今日は、その時に比べたら全然楽だが、どう走っていいか非常に悩むところである。 だが、周りのペースが上がるので、ペースを落とすには相当の意志が必要だ。 橋の手前にエイドがあり、ここではにぎり飯が食べられる。 過去2回は食べてきたが、今日は給食なしの予定だ。 自分にとって、毎年の本命レースは別府大分。 給食のない大会だけに、給食しない癖がついてきた。 その分、スタート前にたくさん食べてしまうので、今日もまだゲップが出る。 食べたい気は起きない。 先行していたカエル着ぐるみランナーは、エイドに寄ってボランティアの人にお礼を言っているので、ここでまた抜かす。 22〜23kmのラップは、下りがあったのに4:20と伸びてこない。 だが、ペースを上げるのは30kmを過ぎてからと思っていた。 過去走った2回、橋の上は強風に悩まされたが、今日は風が弱い。

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 橋の後半は下りだが、渡り終わると、まただらだら登り。 23〜24kmは4:25。 ペースは上げっていないが、それでも周りのペースは落ちてきているので、抜かすケースが増えてくる。 交差点を左折すると、急な下りとなる。 その交差点に、応援のボランティアの人がたくさんいる。 ありがたい応援なので、全員に手を振り「ありがとうございます」と連呼しながら走る。 後ろから、やはりカエル着ぐるみランナーの声が聞こえる。 なるべくすり足で下るが、それでも足にくる下りだ。

 下りきると25km。 24〜25kmは4:14と、久々にサブスリーペースを上回る。 そりゃ、これだけ下りなら、普通に走っていてもこのラップにはなるだろう。 下りきって、カエル着ぐるみランナーと併走する。 せっかくなんで、会話しながら走る。 彼は「いやあ楽しいですね。」と心底嬉しそうに言う。 まだまだ余裕がありそうだ。 すごいなと思う。 更に「前半坂で脚を使っちゃった人は、このあたりから辛いんでしょうね。」とも言う。 「そうですね」と返す。 自分は、脚を残しているランナーのつもりだった。 ちょうどその時、道路右脇の切土に手をついて止まっているランナーがいた。 我々2人は止まって彼の様子をうかがう。 「大丈夫ですか」と言うと「駄目です!」という返事。 次の救護所に寄り、500m手前に要救護ランナーがいることを伝える。 さあ来ました、因縁のアップダウン。 このコースの中で最も苦手としている坂である。 だが、今年は脚が残っているので大丈夫。 なぜ去年は、この程度の坂を壁と思ってしまったのか、とさえ思う。 余裕を見せ、併走している彼に「この坂、キツいですよね」と言いながら登る。 坂の途中が26km。 25〜26kmは4:39。 遅いラップであるが、ランナー救護や坂があったので仕方がない。 登りは比較的順調に上れたが、下りでカエル着ぐるみランナーに若干先行される。 やはり下りの走りが難しい。 海沿いとなって27kmを通過。 26〜27kmは下り中心だったが、登り区間もあり、4:27。 まあ、全力を出すのは30km以降と考える。 だが、やはり平坦なコースに比べて脚の疲労は隠せなかった。 名物マ丼のエイドに到着。 予定通りパスする。 カエルの着ぐるみランナーは、例によってエイドに寄る。 この先、彼もペースが落ちたようで、これが姿を見た最後だった。 その先が28km。 27〜28kmは4:29。 平坦な区間なのに、4分半とは情けない。 やはり体全体、なんとなく疲れを感じていた。 スプリットは2時間3分42秒。 だいたい2/3だから、ここで2時間3分を切っていないと、3時間5分切りは厳しい。 後半坂が減るとはいえ、疲労も感じていたし、もしかしたら厳しいかなと思い始める。



レース終盤
 28kmの看板の先が、距離は短いものの激坂。 一昨年、予想外の坂で、完全に気が滅入ってしまった坂だ。 もちろんそれに比べたら脚は残っているが、それでもペースは落ちる。 地がオレンジ色で「中能登大好きランナーズ」と背中に書かれたTシャツのランナーに抜かれる。 このところ、抜かされることは少なくなってきたが、久々に勢いよく抜かれた気がする。 やはり自分のペースが落ちてきたのかもしれない。 頂点付近が交差点で、そこを過ぎると下り。 自分を抜かしたランナーは先に行ってしまい、追いつけそうもない。 その他のランナーは、どちらかというと自分より若干ペースが遅いが、それも若干だ。 抜かすのに苦労するようになる。 28〜29kmは、アップダウンの影響で4:37。 でも、ここから坂が少ないから頑張ろうと思う。 だが、やはり坂で脚がやられたようだ。 別府大分の30km付近とは、明らかに気持ちも足も違っていた。 気持ちいいペースで走ることができない。

 30kmを通過。 29〜30kmは4:31。 全く駄目だ。 ほぼ平坦な区間で4分半を越えるなんて。 スプリットは2時間12分50秒。 少なくとも、ここで2時間12分は切っておきたかった。 だが問題はスプリットタイムではない。 脚の状態だ。 2時間12分を切って、かつ余力十分の予定だった。 だが、余力がない。 前方が開けているので、比較的遠くまで見渡せる。 3時間5分が無理となると、もう一つの目標はS氏に追いつき併走すること。 だが、前を見ても、らしき姿は全く見えない。 それはそうだろう、彼のコースベストは3時間6分。 2月の終わりにサブスリーの記録を出したばかりの彼が、そのコースベストから大きく遅れるとは考えられない。 30〜31kmは4:30。 平坦なのに。 もう3時間5分は無理だなと思う。 もちろん、一昨年ほどペースは落ちていない。 だが、ペースが落ちているというのは一緒だし、気持ち的にも似ている。 リベンジのために出場したのに、ダメだなあと思う。 31〜32kmは4:27。 もうこのペースでしか走れないのか、と思う。 自分のペースは落ちたが、周りはもっと落ちている。 歩いている人も結構いる。 Bブロックの人は、それまでのどこかで自分を抜いたランナー。 なんとか彼らを一人一人捕まえてペースを維持する。 32〜33kmは4:30。 完全に4分半のラップが染み付いてしまっている。 このあたりで、盲人ランナーを抜かす。 このランナーは、1kmあたりで一気に抜かれた。 しかし、ここまでペースを保っているのだから、凄いなと思う。 33〜34kmは4:41。 全く駄目だ、4分半すらキープできなくなってきた。

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 3年前を思い出す。 このあたりで一緒に走っていたK氏はリタイアを決断したっけ。 その気持ちがわからなくもない。

 35kmを通過。 34〜35kmも4:42。 完全に目標を失ってしまった。 35kmのエイドも懐かしい。 一昨年、ここで完全にタイム的な目標を失って、止まって給食してトイレにも行った。 今年はそこまでではないので、給水しただけで先を目指す。 ここでゴールタイムを予想する。 3時間5分はもちろん論外であるが、このままペースが落ち続けると、3時間10分すら危ない。 サブスリーを達成した次のレースで3時間10分オーバーは情けない。 それだけは避けないとと思う。 35〜36kmは、少しだけ復活して4:34。 なんとかこのペースで走れば10分オーバーはないだろうなと思う。 大きな坂はないのだが、完全なフラットではない。 川を渡るたびに、小さなアップダウンが繰り返される。 一昨年、歩いてしまった区間だ。 走り終わってから、なんで歩いてしまったんだろうと自責の念にかられたが、いまこうして同じ場所で似たような状況に置かれると、歩くのもわからないでもない。 36〜37kmは4:33。 風光明媚な区間なのだが、爽快感はまるでなし。 もしかしたら前にS氏が見えるかもと思うが、自分がこんなペースなんだから、よほど向こうがブレーキにならない限り追いつくことはできないだろう。 前をみても、そうしたブレーキのランナーは見当たらなかった。 37〜38kmも4:33。 惰性走行である。 あと4km。 この先も登りがある。 だが、ようやくゴールが近づいてきたなと感じる。

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 38〜39kmは、また少し落ちて4:39。 スプリットは2時間54分を切っているから、ここからキロ5分ペースまで落ちても10分は切れるなと思う。 だが情けないタイムが目標になってしまったものだ。 やがて最後の登りに。

 登りの途中が40km。 39〜40kmは4:49。 いくら登りがあったからといって、このラップは情けない。 10分切れるといっても、9分台じゃ情けない、せめて8分台を目指そうと思う。 登りは続くが、あと2km。 せっかくなんで、全力を出し切ってゴールしようと考える。 下りに入ってペースを上げる。 前方約100m、全くランナーがいない状況となる。 後ろからも足音が聞こえない。 完全に一人旅だ。 考えてみれば、こうした小さい大会で、このくらいのタイムで走るのは初めてだった。 やはりゴールが近づくと嬉しい。 距離もそうだが、温泉街が近づいてきたのがわかるので、帰ってきた感があるのだ。 気持ちよく下っていて41kmの看板を見落とす。 その先に残り1kmの看板があったので時計を押す。 ラップは5:34。 もうひと頑張りすれば9分は切れるなと思う。 前に加賀屋が見えてくる。 疲れに疲れていた一昨年も、やはりここを走っているときは嬉しかった。 今年も一緒。 気持ちよくペースを上げる。

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もしかしたらUmerunさんのご家族がいるかと思って目を凝らしたが見当たらなかった。 温泉街を通り抜け、右に左に交差点を曲がるとゴールゲートが見える。 25〜40kmは無気力状態だったが、やはりゴールは嬉しい。 気持ちよくペースを上げ、ゴールゲートをくぐる。 タイムは、手元の時計で3時間8分42秒だった。 自己ベストから11分遅い情けないタイムだが、まあ言っても仕方がない。

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 ゴール後にアミノバリューをもらう。 喉が渇いていたので、おかわりして3杯飲む。 記録証をもらって表彰台の前に行くとS氏がいた。 彼は後半失速してしまって、自己コースベストも更新できなかったと残念がっていたが、それでも自分より1分早い。 しかも彼は前日20kmも走っている。 今の自分とでは、走力そのものが違うということを思い知らされた。 チームMACの面々や、Umerunさんのゴールを待ちたいところだが、寒さで震えが止まらない。 今日はノースリーブ・短パンで走っていた。 仕方なく、観光会館に入って着替える。 着替えを終えると、ゴールゲートの近くに行き、後続のランナーの到着を待つ。

 しかしUmerunさんは来ない。 確かに前の晩、相当飲んでいるし、全力で走っているか怪しいところではあるが、10km地点では自分と1分しか差がなかったし、彼の実力からすれば15分は無理でも20分くらいでゴールするのではと思っていた。 しびれをきらして妻に電話する。 35kmは通過したが、40kmのラップが出ていないという。 まさかまだ40kmに達していないのか。 おかしいなと思っていたその時、目の前にUmerunさんが現れた。 3時間28分くらいでゴールしたようだ。 やはり飲酒と満腹での走りは辛かったようで、後半落ちたという。

 ステージの前で、S氏とその仲間たちで写真を撮る。 せっかくなんで、Umerunさんにも入ってもらう。

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レース後・東京へ
 Umerunさんは、これからあえの風の風呂に入ってからイベント広場に向かうという。 自分も美湾荘の風呂に入ってからイベント広場に行く予定だ。 だが、嬉しいことに、チームMACの女性が6位入賞したという。 これは表彰式を見ないわけにはいかない。 そうしているうちに時間が経つ。 今日はUmerunさんの車で東京に帰る予定だった。 子供たちは明日学校である。 待たせるわけにはいかない。 温泉に入れないのは残念だが、ひとり遅れてきて温泉チケットを買えなかった人がいるので、彼に譲ることにした。 彼は小浜市から来たという。 自分も舞若道建設のため敦賀にいたといったら、あの道路のおかげで便利になったと言ってくれた。 彼は、早速Facebookで友達申請してくれた。 こうして友人の輪が広がっていくのも、S氏のお陰である。 あえの風の前で彼らと別れた。

 Umerunさんは、あえの風のロビーで待っていると言っていたが、このデカいザックを背負って高級旅館に入るのもみっともなく、先にイベント会場に行き、そこでUmerunさんを待つ。 まずは牡蠣鍋。 息子さんが要らないといったらしく、Umerunさんは2杯食べている。 牡蠣を焼くと時間が掛かりそうなので、カレーを食べて、車を止めてあるあえの風へ戻る。 途中、Umerunさんの会社の人とすれ違う。 御夫婦できていて、昨日は和倉に泊まり、今晩は氷見に泊まるという。 後泊できたら最高の旅ランだろうなと思う。 Umerunさんのお宅の車は、旅館から出して、向かいのセブンイレブンに止めてあるという。 自分とUmerunさんは、あえの風の地下で土産を買い、車へ向かった。

 ありがたくも自分に3列目2人分の座席を与えていただく。 運転は奥さんではなく、Umerunさん自身がする。 高規格道路に入るまで少し渋滞したが、能越道路に入ったら車の流れはよかった。 途中、名立谷浜SAで夕食を食べる。 その後も運転はUmerunさん。 上信越道に入り、藤岡で休憩し、関越、圏央道と通って、あきる野で降りる。 ずっとUmerunさんの運転だった。 家には22時半に着いた。 本当にUmerunさんに感謝である。 車中、S氏からメールが何通も入った。 本当にマメな人である。

 妻は起きて待っていてくれた。 木曜の朝家を出て、長い4日間だった。 その間、多くの人に会い、多くの人のお世話になった。 走ることは楽しい。 走るだけではない、人とのつながりも走る事によって得られるものの一つだ。 今回、時間が無く、自分を能登和倉や立山登山マラニックに誘ってくれた富山在住のK氏に会えなかったのは残念だ。 K氏が「ランナーに悪い人はいない」と言っていたことがある。 確かにそれは的を得ているなと思う。 東京から遠い大会だが、出て本当に良かったと思う。 走りは納得できるものではなかったが、多くの人と出会え、また新たな友人を得られたことは本当に素晴らしいことだ。 彼らの中には、山好きもいるらしい。 マラソン大会もだが、一緒に山に登れたら最高だなと思う。



タイム振り返り
 それはそうと、一応大会に出たのだから、タイムの検証をしなければならない。 やはり5分を切れなかったのだから残念レース。 だが、今の実力からすれば仕方がないのかもしれない。 特に別府大分後、燃え尽き気味になってしまったのは否めない。 昨年11・12月は月400km、1月は500km走ったが、2月は300kmしか走れなかった。 それにスピード練習を全くしなかった。 体重管理もしていなかった。 1週間前の立川ハーフの疲れが残っていた。 おまけに3日前に足首を捻挫した影響もあった。 3時間8分は、ある意味実力通りの結果と言えなくもない。 それでも10分切りという、最低限の目標は達成した。 考えてみれば、昨シーズンまで3時間10分を切れないランナーだったのである。 それが今シーズン、練習で走った湘南国際を除いて、全レースで10分を切っている。 昨シーズンから成長したことは間違いないだろう。

 キロラップは、坂が散在しているので参考にしかならない。 5km毎のラップを見てみる。

 
ラップ
キロラップ
備考
0km〜5q22:114:26 
5km〜10q21:594:24 
10km〜15q21:544:23 
15km〜20q22:074:25 
20km〜25q21:564:23 
25km〜30q22:434:33 
30km〜35q22:504:34 
35km〜40q23:084:38 
40q〜ゴール9:544:31 

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 25kmまでは、ほぼ22分を刻んでいるので、順調に見える。 だが、実情は少し違う。 20〜25kmは下り基調なのだ。 実は失速は20km過ぎに始まっていた。 20〜25kmの急坂(下り)で脚がやられ、25〜30kmのアップダウンでペースが落ち、その後の平坦で伸びを欠くという、一昨年を思い出すレース展開。 やはりもう少し前半抑えるべきだったのか。 でも3時間5分を目指すには、このくらいのスプリットでいい気がする。 ということは、実力的に3時間5分は厳しかったのだろう。

 参考ではあるが、キロラップは以下の通り。 16qと17qは、2014年と今年の傾向が似ていることから、16qポストの誤表示と思われる。 程度の差はあれど、2014年同様、やはり26km以降にラップが落ちている。 やはり坂を克服できたとは言い難い。 2021年の榛名湖マラソンで年代別入賞を目指すためにも、もう少し坂に強くならなければいけないなと思う。

 
ラップ
スプリット
備考
0km〜1q4:134:13 
1km〜2q4:428:55 
2km〜3q4:2913:24 
3km〜4q4:2217:26 
4km〜5q4:2522:11 
5km〜6q4:4526:56 
6km〜7q4:1631:12 
7km〜8q4:2035:32 
8km〜9q4:2940:01 
9km〜10q4:0944:10 
10q〜11q4:0448:14 
11q〜12q4:2452:38 
12q〜13q4:3457:12 
13q〜14q4:361:01:48 
14q〜15q4:161:06:04 
15q〜16q4:541:10:58 
16q〜17q4:051:15:03 
17q〜18q4:201:19:23 
18q〜19q4:191:23:42 
19q〜20q4:291:28:11 
20q〜21q4:261:32:37 
21q〜22q4:311:37:08 
22q〜23q4:201:41:28 
23q〜24q4:251:45:53 
24q〜25q4:141:50:07 
25q〜26q4:391:54:46 
26q〜27q4:271:59:13 
27q〜28q4:292:03:42 
28q〜29q4:372:08:19 
29q〜30q4:312:12:50 
30q〜31q4:302:17:20 
31q〜32q4:272:21:47 
32q〜33q4:302:26:17 
33q〜34q4:412:30:58 
34q〜35q4:422:35:40 
35q〜36q4:342:40:14 
36q〜37q4:332:44:47 
37q〜38q4:332:49:20 
38q〜39q4:392:53:59 
39q〜40q4:492:58:48 
40q〜41q4:393:03:27 
41q〜42q4:243:07:51 
42q〜ゴール0:513:08:42 

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 順位は113位で、上位3%に入れず。 別府大分のように出場資格がある大会は別として、できれば上位3%に入りたいところだ。

 さて、今シーズン、残すは佐倉とかすみがうら。 別府大分でのサブスリーがまぐれで無いことを示すためにも、できればまたサブスリーを出したい。 だが佐倉は、それなりの坂と風に悩まされるコース、かすみがうらは暑うなる可能性がある。 昨シーズン、佐倉ではシーズンベストの別大から15分遅れ、かすみがうらでは7分遅れだ。 ただ、両レースとも脚を少し痛めた状態だった。 今シーズンの現実目標として、佐倉では3時間5分、かすみがうらでは気温しだいでサブスリー再挑戦といったところか。

 今年もあと2レースあるし、来シーズンまでタイムを目指すと決めている。 これからも体重管理をしっかり行い、練習も確実に積んでいきたい。



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